わが街、岩手県遠野市では、
「焼き肉=ジンギスカン」というほど、
ジンギスカンが大変盛んな地域で、
六十年以上も前から市民に親しまれてきました。
そんな遠野のジンギスカンの歴史を
ご紹介します。
昭和22年創業
元祖遠野ジンギスカン
遠野で最初に
ジンギスカンを紹介したのが、
当店の【初代】安部梅吉です。
初代は従軍中に旧満州で
羊肉料理を口にする機会があり、
その独特の美味しさを知りました。
これが、遠野ジンギスカンの始まりです。
初代
精肉店兼食堂の開業
初代安部梅吉は従軍中に旧満州で羊肉を口にしたことがきっかけで、帰国後、精肉店兼食堂を開業。羊肉の美味しさを広めるため、昭和三十年頃から店頭にジンギスカンを出しはじめました。当時は羊肉を食する習慣がなく、「羊の肉なんか食ってんのか?」と笑われたこともありました。しかし、初代が試行錯誤の上に作り上げた、羊肉と相性の良い自家製タレがクチコミで徐々に評判となり、やがて店には長い行列ができるようになりました。
二代目
バケツジンギスカンの誕生
遠野ジンギスカンで一番特徴的なのは、野外で「バケツ」を使って食べることです。この通称「ジンギスカンバケツ」は、当店の【二代目】安部好雄が考案したものです。四方を山に囲まれた遠野地域では、昔から高原祭りなどが盛んに行われ、当店でも、肉と鍋、七輪などを会場まで配達していましたが、当時の山道は大変な悪路だったため、往復する間に多くの七輪が割れてしまいました。二代目は、これを解決しようと試行錯誤を重ね、ついに「ジンギスカンバケツ」を考案しました。同時に、店頭で鍋とバケツの無料貸し出しをはじめたところ、その手軽さと便利さが受け入れられて、瞬く間に市内に普及しました。
ジンギスカンは
遠野の団らん文化の象徴
いまでは、市内の精肉店やスーパーでも鍋とバケツの貸し出しが行われており、野外で食べるときはバケツで食べるのが当たり前。この「ジンギスカンバケツ」は、さらに遠野ジンギスカンの代名詞となっています。羊肉と非常に相性の良い自家製タレが徐々にクチコミで評判となり、やがて店には長い行列ができるようになりました。そして、いつしか遠野は、一人当たりの消費量で北海道と一、二を争うほど、ジンギスカンが盛んな街となったのです。
三代目からの一言
ジンギスカンに思いを込めて
最近、ご家族そろってご飯食べてますか? 子どもからお年寄りまでなにかと忙しいこの世の中、一家団らんの時間ってホント貴重ですよね。思えば、昔は「8時だヨ!全員集合!」が日本の家庭の一家団らんをささえていましたが、近頃は家族そろってテレビを見ようとするだけでもなかなか大変なものです。でも、そんな貴重な一家団らんのひとときにこそ、ジンギスカンがオススメです!え?なぜって?家族で食べるジンギスカンは、笑顔と楽しい会話が至高のスパイスだからです!楽しいから美味しい、美味しいからもっと楽しい!もっと楽しいからもっと美味しい!! 幸せがどんどん、どんどん膨らんでいきますね。そう、ジンギスカンには家族をホンワカ幸せにする「小さな力」があるんです。ジンギスカンで、日本の家庭がもっともっと幸せになりますように。